|
「京ちゃんおはよう〜!!」 「おう、おはよ!!」 私立清稜学園―大学も同じ敷地内に兼ね備えているここは、 緑豊かで穏やかなただずまいをみせる、有数の名門校である。 そして、愛用のバイクを押し、駐車場へ向かう道で登校して来る生徒達から 軽やかな挨拶を受けているのは、学園の高等部に勤務する国語教師・草薙京である。 彼はその明るいさと、持ち前の気さくさで生徒達から信頼も厚く、 親しみを込めて「京ちゃん」と呼ばれており、皆の兄的存在として生徒達に慕われている。 駐車場に近い裏門を使わず、あえて正門から入り、元気に声を掛けて来る生徒達の 爽やかな笑顔を見て、それに同じように笑顔で応える事から、京の1日は始まる。 鼻歌を歌いながら、上機嫌な様子で廊下を歩いていると、 職員室の入り口のドアの前にに女生徒が数人、何やらコソコソしながら中の様子を伺っている。 「お前ら、そんなトコで何やってんだ?」 「ーあ、京ちゃん」 「「「おはようゴザイマ〜ス♪」」」 「あ……ねえ、京ちゃんに聞けばわかるんじゃない?」 「……そっか、そうだよね」 「?」 京の問いそっちのけで何やらボソボソと会議し合うっていた面々が、 話がまとまったらしく全員で一気にグルリと向き直る。 その勢いのままで近付いてくるので、あまりの気迫に京は思わず仰け反ってしまう。 「……な、何だよ一体」 「あのさ、八神先生来てるのかな」 「………は?」 「だから、八神先生。もう来てるのかどうか知らない?ここからじゃよく見えなくて」 [八神先生]というのは、京と同じくこの学園に数学教師として勤務する、八神庵の事である。 長身で端麗な容姿、そしてクールな性格が女心をくすぐるのか、 学園のにいる女性(生徒/教師問わず)に高い人気を誇る人物だ。 「俺も今来たし…入って探せば?何か用なんだろ?」 「ううん、別に用はないの」 「……は?」 職員室のドアを開けつつ、後方の面々に問うと、何ともケロリとした返事が返って来る。 じゃあ何がしたくてここにいるんだと呆気にとられるあまり、ポカンと開けた口が塞がらない。 そんな京を残したまま、女生徒達は口々に語り始める。 「あたし達八神先生のファンなの!!」 「でも、今日先生の授業ないから会えないし、せめて一目見ておこうかなって」 「ってゆーか職員室に入ってまで見る勇気ないし…チラッと見れればそれでイイっていうか」 「何か1日の始まりに見ておかないと、落ち着かないのよね〜……」 「何だそりゃ……」 姿を思い浮かべているらしく、彼女達はうっとりとした表情で語る。 ピンクのハートがヒラヒラ飛んでいそうな面々に、ウンザリした様子で溜息を吐く。 「あんなヤツのどこがイイんだか……」 「俺が何だって?」 「あっ…やっ……八神先生、おっおはようございます!!」 「「「おはようございます!!!」」」 「ああ…おはよう」 京と女生徒達の後ろから、不機嫌そうな様子で庵が現れる。 思いがけない憧れの人物の登場に、女生徒達は叫びだしそうになりながらも、 礼儀正しく頭を下げ、庵と挨拶を交わす。…京の時のダラけた様子とは大違いだ。 注目の的の人物を、京が横目で露骨にも嫌そうな視線を送ると、 それに気付いたらしい庵が、眼鏡のズレを直しつつ、同じく睨むように京を見据える。 「それで?俺が何だと言うんだ」 「別に?ただ女の子におモテになって羨ましいデスネ〜っておハナシですよ」 「…………お前の口振りからしてそうは聞こえんが」 「いいえ〜?心の底から!!そう思ってマスヨ?…ただお前がロリコンだったとは驚きだけどな」 「……それは面白い冗談だな」 「俺は冗談は嫌いなんだよ」 「ほほう…………」 お互い顔は笑顔のまま、不穏な空気を漂わせ、頭がぶつかりそうな位置で顔を突き合わせている。 沈黙と共に段々と睨み合いに変わり、今にもバトルに発展してしまいそうだ。 「イイ加減にやめなよ、みっともない」 「いつもそうだよね〜……」 その様子を眺めていた彼女達は、特に臆するでもなく、呆れた表情で2人を止める。 とりあえずその制止を聞き入れたものの、フン、という声と共に顔を反らして離れ、 ご丁寧にそれぞれ別の入り口から職員室へと消えて行く。 実はこの情景、学園関係者にとっては日常茶飯事で、京と庵は事あるごとに こうして睨み合い、はたまた殴り合いのリアルバトルに発展するまでのケンカを、 この敷地のあらゆる所で繰り広げており、生徒から教師に至るまで、 その事を知らぬ物がいない程の、いわば(はた迷惑な)名物イベントなのである。 昼休み、クラス担任をしている3-Aの仲のいい生徒達と共に、 校舎の屋上に集まって昼食を取るのが京の日課となっている。 最近ではA組以外の教科担当クラスの面々も集まって来て一緒に食べるようになり、 屋上は今や他クラスとの生徒同士の交流の場と化している。 「ったく〜、京ちゃんと八神先生って何でケンカばっかすんの?」 毎日のように行われる庵との睨み合い(&殴り合い)に業を煮やしたらしく、 京の隣に座っていた女生徒が、鼻息も荒く身を乗り出して話し掛けて来る。 「そんなに八神先生の事嫌いなのか?」 「ん〜…嫌いって程でもねェんだけどな〜……」 「じゃあ何でなんだ?」 話題に便乗して、他の生徒も尋ねて来るのに対して、申し訳なさそうにポリポリと頭を掻く京。 「何でって言われてもなぁ……簡単に言えば『ウマが合わない』ってトコかな。 マジで嫌いなワケじゃねェよ?本当に嫌いな奴なら喋りかけたりすらしねェし。 まぁ…ライバルっつーかケンカ仲間ってのが妥当なところか。 気を使わずに言いたい事言えてスッキリするし、アイツも俺も ストレス発散になってイイんじゃね?」 「京ちゃんにストレスがあるとは思わねェけど?」 「あッヒデェなその言い方〜!!!俺だってお前らの成績とか進路で悩む事だってあるぞ!!」 「ウッソだ〜」 「『お前等はお前等のやりたい道を行け。でも途中で投げ出さず、最後までやり遂げる責任を持て』 っていつも言って放任してるクセに〜」 「うぐッ」 痛いところを突かれて言い淀む京をよそに、周囲はドッと笑いに包まれる。 素直にそれを認めたくないのか、京は恥ずかしそうに少し顔を赤らめながら、 「ホントなんだからな〜」などとブツブツ呟いている。 それに答えるように近辺の生徒から「はいはい、そういう事にしといたげるわ」と 止めの一言を言われてしまい、ますますふてくされてしまう。 「なー、さっきの話に戻すけど。実は2人は仲がイイって事はねェの?」 「ッはァ!?俺達のどこを見てそう思うワケ!?」 京の意識をそらそうとしてか、ふくれていた京の側にいた男子生徒が話題を変える。 その言葉に心底驚いたように、京が目を見開く。 「ああ、『ケンカする程仲がイイ』って言うもんね」 「なる程〜、実は親友……ううんラブラブとかだったりして!?」 「うえェ〜!?そこまでいくのかよ〜」 「おお、それありえなくないんじゃね?」 「オイオイ…………」 何だか自分そっちのけで盛り上がって行く周囲に声を掛けて止めようとすると、 タイミング良く昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴理響く。 「ま、そんな事八神先生と京ちゃんじゃありえないけどね〜」 「そんじゃ京ちゃん、またね、バイバ〜イ♪」 「お……おう……」 ケラケラと楽しそうに笑い合いながら、階下へと下りて行く生徒達の背中を呆然と見送って、 ポツリと1人屋上に取り残される京。 「結局、ネタにされただけかよ……ったく……」 ガックリと脱力して項垂れると、そのままゴロリと床に寝転び、 ゆっくりと流れて行く雲を眺める。 「しっかしさっきは驚いたぜ……女ってのは結構鋭い生き物なんだなぁ………」 「確かにあなどれん」 空に向かって呟いた独り言に、後方から答える声があった。 起きる事なく首を巡らせて見ると、入り口の扉にもたれかかって庵が立っている。 ポケットからタバコを取り出し、紫煙をくゆらせながら側まで来ると、 寝そべっている京に並ぶように座る。 「………お前、授業は?」 「5限はない、そういうお前はどうなんだ」 「俺は午後はねェよ。ま、後でプリント作ったりしなきゃなんねェけどな」 既に授業の始まっている校内は静まり返っており、 時折聞こえるのは遠くにあるグラウンドで行われている体育授業の声のみで、 視界に遮る物のない屋上にいると、今世界にお互いしかいないような錯覚さえしてくる。 隣でタバコをふかす庵の顔を、特に見るでもなくボンヤリと視線を中空に彷徨わせていると、 目の端から庵の手が伸びてきて、サラリと髪を撫でてくる。 荒々しさのない優しい動きとその暖かさに、京は思わずうっとりと目を細める。 しかし、何かにハッとした様子で目を見開き、慌ててその手を払いのける。 「………ガッコではそういう事すんなって」 「今は授業中だ、しかもここは周囲から見えない位置にある、心配はいらん」 「………ならイイけど」 ―そう、実はこの2人、生徒達が冗談で言っていたように、ラブラブな関係…… つまり、恋人同士なのである。 元々互いの家が幼少の頃から近くにあり、幼なじみとして過ごし、校内での2人のように 絶えず衝突してはケンカを繰り返していたが、中学から高校に上がる辺りから関係が一変、 互いを恋愛対象として意識するようになり、高校時代には、恋人関係へと発展、 以来肉体を伴う甘い時間を共に過ごしている 社会人になった現在は一つの部屋で暮らしているのだが、 同性愛は教師という職業に不利な条件でしかなく、隠し通す為のカモフラージュとして 別々の交通手段で通勤したり、ケンカ仲間のような関係を装ったりして周囲を騙しているのだ。 「さっきはヒヤッとしたぜ〜……うすうす勘付いてる奴もいつのかも知れないなぁ… マジゲンカしてんは事実なんだけど」 「女というものは、少しの空気の違いを敏感に感じ取る生き物だからな」 「………ガキでも女って事か」 「そういう事だ」 庵の返答にクスリと笑うと、足を跳ね上げてそのバネで上体を起こすと、 腕を伸ばして庵の胴にしがみつき、頭を胸に寄せる。 「こういう事はするなと自分が言ったのではなかったか?」 「だけど、どっからも見えないから大丈夫なんだろ? 俺だって公私はちゃんとわきまえてるけど………ちょっとだけイイだろ〜」 少しスネたように言う京のセリフに苦笑しながら、応えるように片手で京を引き寄せて抱き締める。 それに喜んだのか、嬉しそうに微笑んで胸に頬をすり寄せて来る。 「家でもガッコでも一緒だけどさ、こうして触れないと何か足りなくなるんだよ」 「?何が」 「『庵』が」 「何だそれは」 ニヤリと笑って言う京に、呆れた様子で答えながら、何となく意味は伝わっているらしく、 庵も愛おしむようにサラサラと風に揺れる髪に指を絡める。 どちらからともなく唇を重ねると、ゆっくりと京が立ち上がり、グンと背伸びをする。 「さて、あんまサボッてるワケにもいかねェし、そろそろ行くかな」 ズボンについた汚れをパタパタとたたき落とすs型を見上げながら、庵が声をかける。 「……手伝ってやろうか?」 「そんな気まるでねェクセに」 階下へ続く入り口のドアへ近付きながら、庵の問いに苦笑しつつ振り返ると、 いつの間にか近付いて来たらしい庵が、その腕を掴んで強引に引き寄せる。 「少しでも長くお前といれればと思ってな」 「なっ………バッ、バッカじゃねーの!?」 囁かれた耳を手で隠すように覆いながら、これ以上何かされてたまるかと、 庵から逃げるように距離を取る。 「………そう言う割には顔が赤いぞ」 「うっせッつの!!」 口元を意地悪そうに歪める庵を置いて、 赤い顔を誤魔化すように、京はその場から走り去るのだった。 |