邸宅の玄関先に一台の馬車が止まる。
そこには執事らしい風体の男が待っており、そっと馬車に近寄ると
扉を開け、中の人物に深々と頭を下げつつ迎える。

「お帰りなさいませ、京様」
「おう」

烏の濡れ羽色のように美しい黒髪を揺らし、コートを脇に抱えながら、
上品な素材で作られたスーツを身に纏い、優雅な品格を備えた
『京様』と呼ばれた青年がゆっくりと下りて来る。
そのまま玄関の扉をくぐり、後につく執事に荷物を渡すと、
迎えに出た使用人達に挨拶しながら、屋敷内を進む。


660年続く由緒ある血筋で、名家と誉れ高い一族ー草薙家。
その当主である京は、20歳という若さで家督を継ぎ、
日々激務に明け暮れている。
その手腕は当主として申し分ない程非の打ち所がなく、周囲の評価も高い。
まさに名君と呼ぶにふさわしい人物である。










「ふぁ〜〜ッ……疲れたぁ……」

どっかりと自室のソファに腰掛け、溜息と共に言葉を吐き出す姿は、
25という年相応な雰囲気を漂わせる。

「あんのクソジジィ共、『恋人はいるか』だの『結婚はどうするか』だの
 しつこく聞いてきやがって…俺の家と金にしか興味ねェクセにうるせっつの!!」

バンバンとソファを叩きつつ、眉間に皺を寄せつつ、
先程までのサロンでの出来事を思い出して叫ぶ。
………見た目とは裏腹に、口調は随分と悪い。

「あわよくば自分の娘を嫁にしてもらおうと狙っているのですよ」

奥の部屋にあるクローゼットにコートやジャケットを片付けながら聞いていた執事が、
夜着を手に京の側へ寄りながら答える。

「ケッ!! どうせあのカバの娘だ、同じようなモンなんだろうぜ。誰が嫁にするかっての」

忌々しそうに吐き捨てる言葉に、執事は思わず表情を緩ませる。
夜着を受け取ってそれに着替えながら、手伝ってくれる相手を肩越しに振り返る。

「な〜八神。結婚ってしなきゃなんねェモんなのか?」

質問を受けた執事ー八神 庵ーは、シャツを手に掛け直し、苦笑混じりにそれに答える。

「そうですね……草薙家のご当主であられる限りは、後へ子孫を残されねばなりませんと、
 お血筋が絶えてしまいますので」
「『お家の為』ってヤツ?」
「……そうですね」

ベッドへ移動し、モソモソと中へ入りながら、言われた事について思案を巡らせている。

「ピンと来るヤツなんかそういねェんだけどなぁ…」
「いつか現れますよ。京様が心から大切だと…側に居て幸せだと感じられる方が」
「そうだとイイけど」

特に興味もない、といった様子で返事をする京に困った表情を浮かべつつ、
脱いだ衣類を片付けて扉へ向かう。

「それでは、私はこれにて失礼致します。お休みなさいませ、京様」
「うん、お休み…八神」

会釈をして扉を閉める間際、ベッドの中で『紅丸が恋人です、とか言えば良かったな』と
呟く声が聞こえたが、庵は気に留める事なく扉を閉め、自分の部屋のある使用人の棟へ足を向ける。
ふと立ち止まり、窓の外を見ると、そこには下弦の月が美しく輝いていた。
先程の呟きを頭の中で反芻して、届く事のない想いに、フゥ…と溜息が洩れた。




















「二階堂様、ようこそいらっしゃいました。主がお待ちですので、こちらへどうぞ」
「よう、お前さんも元気そうで何より」

翌日、京の親友で二階堂財閥の御曹司・二階堂紅丸が草薙邸を訪れた。
当主になったせいで友人と親交を深める時間がなくなり、
疎遠になったものが多い中、紅丸は家が近いという事も有り、度々互いの家を訪れては、
他愛ない話に花を咲かせている。多忙な日々の中、京にとって紅丸とのやりとりは
非常に有意義であり、癒しの時間となっている。

迎えに現れた庵に笑顔を向けつつ、案内に任せて廊下を歩く。
すれ違い様にメイド達が会釈するのをヒラヒラと手を振って返しながら、
「今度ドライブに行かない?」など口説きまわっている。

「……んで?お前さんはあれからどうしてんのよ?」

廊下に誰もいなくなったのを見計らったように、2人にしか聞こえない音量で
紅丸が周囲を見回しつつヒソヒソと話掛けてくる。

「…何がだ」

忌々しそうにギロリと紅丸を睨む表情は、いつもの庵からは見られない姿だ。

実は、庵は小さい頃から二階堂家で住み込みで働いており。年齢が近かったせいか
紅丸の世話役として側に仕えていたので、2人は幼なじみなのである。
京が当主となる5年前までは紅丸の下で働いていたのだが、草薙家で新たに執事を募集するとの事で、
親友という事もあり、自らが信頼する庵を京に紹介したのだった。
その為、友達のように接していたのが抜けず(紅丸も家族同然に思っているせいもあるが)
公共の場以外では、庵もくだけた(むじろ無愛想な)物言いで紅丸に対応する。

「京に告白したのかって話だよ」
「……言えるわけがなかろう」

憮然と言い放つ庵のセリフに、ガックリと肩を落とす。

「………お前ねェ、元主人の俺には何でも言えるのに、何で京にはダメかな」
「お前とは付き合いが長いからな」
「そういう問題か?」

呆れ返る紅丸をよそに、窓に視線を逸らす。

「…身分違いも甚だしいし、何よりも男同士だ、叶うハズもない」

苦し気に話す庵の表情を、見守るように眺める眼は、友人というよりも
家族のように暖かい雰囲気をもっていた。
……が、そこはそれここにいるのは二階堂紅丸。

「ふぅ〜ん、じゃあ俺様が京をもらちまってもイイってんだな?」

と茶化す事を忘れない。こうして人を煽って楽しむのが彼の励まし方だ。
それを理解しつつも、釈然としない思いにギロリと紅丸を睨むが、
すぐに力ない溜息に変わる。

「……京様もそれを望んでいる」
「はァ!? ガキの言う事をマジに受け取ってんじゃねェよ」

庵の発言に、心底呆れた様子で笑い飛ばしている。
そう年齢の変わらない京だが、紅丸は彼の心情を正確に把握しているらしい。

「アイツにとって俺は親戚の兄ちゃんか、いって親友止まりだよ」

ケラケラと笑って庵の背中を叩き終わるのと同時に、2人の足は京の待つ書斎に到着した。
ノックをして到着を告げ、中の返事を待ってから、庵はノブを掴み扉を開ける。
その音に混じるように、すれ違う紅丸の背中に、ポツリと言葉が掛けられた。


「俺は 家族にすら 思われていない」




















「なあ、京って…ここで働いてる奴らの事、どう思ってんの?」

出されたアフタヌーンティとクッキーを堪能しつつ会話を楽しんでいたところへ、
唐突に言われたセリフに、京はキョトンとした顔を向ける。

「何だよイキナリ」
「いや、何となく」

質問に答えるべく、使用人達の顔を次々と思い浮かべて行く。

「ん〜……大切な家族、かな。舞はガキの頃から一緒だから妹か姉みたいな感じだし、
 テリーは兄貴みたいなモンだし………」

次々と挙げられる使用人の名前に、聞きたい人物の名がなかなか出て来ない。
それに焦れるように、紅丸は思わず口を開いてしまう。

「じゃあ八神は?」
「八神?」

不思議そうな相手にハッとして、迂闊だったと気付くもなかった事には出来ず。
どう誤魔化そうかと頭をひねる。

「い、いや……ホラ、紹介した身としてはさ、どう思ってんのか気になるワケよ」
「ふ〜ん」

大して気になった様子ではない相手に、紅丸は心の中で密かに『乗り切った!!』と
力いっぱいのガッツポーズを決める。

「そうだな〜……気が利くし、仕事のサポートは完璧だし、執事として申し分ないよ。
 紅丸には感謝してる」
「そ……そうか。そりゃあ良かった!」

にこやかに(半ばオーバーアクション気味に)安心した風を装っているが、
内心では『そういう事を聞いてるんじゃなーーい!!!』と身悶えせんばかりだ。
………確かに、紹介した相手が完璧だと褒めてもらうのは嬉しい事だが。
何とかして京が庵に対して思っている事を聞き出したくて、
(何だか少し庵が哀れに思えて聞いたらしい)それらしい話題に変える。

「で、でもよ〜、アイツが執事として家にいんのも困りもんだろ」
「何で?」
「だってアイツ、俺様より劣るにしても結構イイ顔してんだろ?接客態度も最高級だし。
 だから客の連れの女性が庵の奴ばーっか見てたりして、そのせいで客が不機嫌になったりさ〜。
 あとメイド達にもモテるもんだから、庵の知らないところで色恋沙汰でモメたり………………
 俺様のプライドはズッタズタなワケよ」
「そうなんだ…」

愚痴のようにまくしたてられる庵への(?)悪口に、呆然とした様子で聞く。

「アイツも男だからな、誘いに乗って大事になんねェよう、お前も注意しとけ?」

冗談なのか本気なのか定かではないものの、ニヤニヤと楽しそうに言う紅丸に、
何故だか釈然としたい気持ちがわき上がる。

「八神はそんなバカじゃねェだろ」

心なしかムッとした京に、紅丸は『おっ?』と嬉しそうな表情を浮かべるのだった。


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