『ショック状態から起こる、重度の記憶障害』


医師から下された診断結果はこうだ。
頭部から与えられた激しい衝撃によって記憶中枢が混乱。
それによって、京の記憶は現在から1994年へと遡ってしまっている。
その為、'94年以降にあった様々な出来事、出会った人物は、
「なかった事」というよりも「まだ起こっていない事」として処理されているのだ。


「そっか〜、今は2003年なのか……もう21世紀なんだなぁ……
 記憶がねえってのは何か…タイムスリップしたみたいな気分だぜ」

京の両親の到着はまだ時間がかかるとみられる為、
庵が代わりに医師の説明を聞いている間に、
紅丸から意識が回復したとの連絡を受けて、ユキと真吾が見舞いにやってくる。

「じゃあ紅丸さんやユキさんの事は知ってても、俺の事は知らないって事ッスよね?」

ユキは紅丸同様'94年以前から親交があるので、京もさすがに覚えていたが、
真吾を知るのは'97年前後である為に、京の記憶からスッパリ切り落とされていた。

「ああ……すまねえ」
申し訳なさそうに俯く京に、自分の言動が傷つけている事に気付き、己を恥じる。
「気にしないで下さい草薙さん、また覚えてもらえればいいんですから!!」
「おお、さすが真吾、前向きだけが取り柄なだけはある」
「はい!!……ってソレどういうい意味ッスか紅丸さん!!」

談笑していて、ふと1人いない事に気付いて、周囲を見回す。
「最初俺の傍にいた、赤い髪の奴は?」
その様子に気付いた紅丸が、ん?京の顔を見る。
「まだ戻って来てねえよ。
 それよりお前、アイツの事ホントに覚えてねェのか?」
「っていうか知らねェんだよ。あんなキャラ濃い奴、1回見たら忘れねェし」
う〜んと思い出そうと頭をひねる姿に、そうかとだけ返して
少し困ったような表情で宥めるようにポンポンと肩を叩く。
それに笑顔で答えながら、ゆっくりと紅丸をみつめる。

「ーなあ、教えてくれよ。アイツは……あの赤い髪の奴は、一体何者なんだ?」










「庵さん」

診療室を出たところで、背後から自分を呼び止める声がする。
振り返ると、そこには京の母である静と、父・柴舟がいた。

「お久し振りです、柴舟様、静様」
「うむ、息災そうで何よりじゃ」

  庵と京が愛し合っている事は、京の両親であるこの2人も承諾済みだ。
  そして2人共、「八神」と「草薙」は長きに渡る因縁の間柄だというのに、
  庵を「八神家の人間」としてではなく、1人の人間として接してくれる。
  その懐の深さにいたく感銘を受けて、
  庵はこの2人を己の両親以上に尊敬し、慕っている。
  その為、この2人に対してのみ、庵は口調を改めている。

「京の容態はどうじゃ」
「怪我は大した事はないようですが……
 脳が強いショックを受けたようで、記憶喪失のような状態に陥っているようです」
「記憶喪失の……ような?」
通行の邪魔にならぬように壁沿いに移動した庵の微妙な言い回しに、静が眉をひそめる。
その様子を見て、庵に苦笑とも自嘲ともつかぬ表情が浮かぶ。


「正しくは…1994年に記憶が遡ってしまった…という事です」
「───!!」


その言葉に絶句する二人に、今自分はどうしてこうも冷静でいられるのだろうかと、
心の奥底で苦笑する。
京に「誰だ」と問われた瞬間から、まるで歯車が外れてしまったように世界が遠い。
…………そう言われる事も覚悟していたハズなのに。


「医者は何と?」
心配そうな面持ちの静の肩を抱き、宥めてやりながら、柴舟は次を促す。

「今回の大会での傷も治っていない事ですし、
 しばらく入院して様子を見るとの事です。
 ただ、記憶障害だけは処置の施しようがないらしく、
 突然記憶が戻るかも知れないし、
 永久にこのまま…という事もありえるそうです。
 ーですが、記憶を失っているものの、
 日常生活を送る分には支障はないとの事です。」

「そうか……」
沈痛な面持ちで呟き、ある事に気付いてハッと庵を見る。
その視線に気付き、曖昧な微笑みを浮かべて、それが間違いではない事を伝える。
「もしかすると、柴舟様も京の中では『行方不明』扱いかも知れませんよ」
らしくない冗談を言ってその場を去ろうとする庵に、静はそっとその腕を取る。
「気を落とさないで。…あの子は貴方を忘れてしまう程、薄情ではないわ」
「そうじゃ。……思い詰める事などないぞ」
自らの腕に添えられた手と、肩に置かれた手の温もりに感謝しながら頷きだけ返すと、
『用事があるので』と会釈をして2人に背を向ける。



闇に染まる焔で火を付け、紫煙を燻らせながら見上げた空は、
どこまでも黒く、重く淀んでいた―――――――――――




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