「……ん………」

空に輝いていた太陽が地平線に沈む頃、
差し込む西日が眩しかったのか、ゆっくりと京の目が開かれる。
完全には覚醒していない意識のまま、ぼんやりと窓の外に視線を移すと、
視界の端に何か動く物があり、それに目を向ける。

「起きたか」
そう言って振り向いたのは、黄昏よりもなお紅い、血に染まったような髪と黄金の瞳。
夕陽に照らされ、薄く微笑む端正な姿に、思わず心を奪われそうになる。

『―って何俺は見蕩れてんだよ』
その事実に気付いて頭を振って、改めて相手を見ると既に仏頂面で。
今のは見間違いだったのだろうかと首を傾げながら、相手の顔を見直す。

「アンタ……確か、『八神 庵』だよな」
「そうだ」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

痛みに耐えながら半身を起こすのを、庵は窓に背を預けた姿勢で眺めている。
そうだと答えたきり何も話さず穏やかに自分を見ている庵に、
己が抱いていた『八神』のイメージはなく、また殺意や憎悪の念も感じられないので、
それを不思議に思いながら、身構えるように強張っていた身体の緊張を解く。
その間も、ただじっとこちらを見ているだけの相手に、
何となく居心地の悪くなり、何とかこの場を繕おうと言葉を探す。

「アンタ…スゲエ無口なんだな」
「………」
反応ナシかよ、といった様子でムッとしながらも、京は言葉を続ける。
「アンタ、『八神』一族の人間なんだよな?」
「ああ」
今度はちゃんと変じが返って来る。
そこでようやく、目の前の人物が必要以上話さない人物なのだと理解する。


「『八神』なのに……『草薙』である俺を憎んだり、殺そうとか思ったりしないのか?」

「起きた時に緊張していたのはそのせいか」
ふう、と呆れたように溜息をつく相手に頷きを返しながら、
『ようやくマトモな声を聞いたな〜』
などと見当違いな事で感心してしまう。
さっきは片言だし、最初に会った時は意識が朦朧としていたし、で
この男が喋っているところを見た事がなかったのだ。
『随分低い声だな、コイツ……あんな声で囁かれたら腰くだけんだろうなぁ……』
そこでハタと我に返り、自分の奇怪な思考に慌て、真っ青になる。
ペチペチと頬を叩きながら相手を見ると、怪訝そうな表情でこちらを見ている。
頷いたきり黙って、顔を白黒させて慌てているのだから無理もない。
「ーで、で?な、何でなんだ?『八神』一族ってのはそういう存在だって聞いてたのに」
何とか誤魔化そうと続きを促す。
「お前が記憶を失う前に色々あってこうなったのだが……
 俺は俺のやりたいようにやっている。『八神』の血云々は関係ない」
もちろんこの言葉に嘘はないが……
今「自分と京が恋人同士だった」と言っても混乱させるばかりで、
余計に彼を苦しめる結果になるだろうと容易に予想出来る。
それを『色々あって』で済ませる辺りが庵らしい配慮だといえよう。
言われた相手は何となくそんな事を勘付いているのか、
「ふうん…」
といまいち信用していない様子でみつめている。
「―殺されたかったか?」
ニヤリと口元を歪めて、少し殺気を漂わせながらベッドへ近寄ってやると、
その様子にギクリとして、声もなく首をブンブンと振りながら必死に否定する。

そこで、庵の手が少し持ち上げられている事に気付き、チラリと顔を見る。
それに気付いた庵が殺気を消してやると、ためらいがちに口が開かれる。
「『八神』一族も…焔が出せるんだよな、確か」
「質問責めだな、お前。そんなに興味があるのか?」
呆れ半分に苦笑する相手に、むぅ、と頬を膨らませる。
「だってよォ、『八神』一族に今の俺は会った事ないんだから気になんだろ〜
 どんな奴なのか、とかさ〜〜〜」
そう言いながら、こんなやりとりをどこかでしたような気がして、少し首をひねる。
庵は庵で記憶回復の兆しかと思ったのだが、首をひねる京に思い過ごしだと感じ、
その返答に苦笑だけを返す。
「―なあ、見せてもらってもいいか?焔」
子供のようにねだる相手には勝てず―いつだって自分は京に勝てないとわかっているが―
ああ、とだけ返事を返してベッドの端に腰掛けると、
京の顔の高さに指を掲げ、その先に小さな焔を発生させる。
「うわぁ……これが『八神』の焔なんだ〜……初めて見た…
 ……って記憶ねェんだから当たり前か」
言いながら指先に灯る小さな焔をじっと眺める。
己のものとは異なる焔……
「綺麗だな……」
感慨深げに呟いた京を見て、一瞬庵が目を見開いた後、柔らかく微笑む。
「何で笑うんだよ〜」
その表情にドキッとしながらも、笑われた事に不機嫌そうに庵を睨む。
それに動じる事なく、庵は余程面白かったのか、クックッ…と楽しそうに笑いを洩らしている。
「いや…以前に同じ事を言った奴がいたものでな」
もちろんそれは京でしかありえないのだが、
まさか記憶のない今でも同じ事を言うとは予想外で、
思わぬツボを突かれてしまったらしく、しばらく笑いが収まらない。
傍ですっかり機嫌を損ねてしまった京に「すまない」と返して、
指先の焔を握りつぶすようにして消す。
「―あ、もう消しちまうのかよ〜、もったいねぇ〜……」
残念そうに焔を消した手を見つめる京に、意地の悪い笑みを浮かべる。
「火災報知器で水浸しにはなりたくなかろう」
「それもそうだな……まあいっか。また見せてくれよな!」
そう言ってニッコリと笑う姿に、抱き締めてしまいたい欲求を煽られ、
逃げるように顔を反らしつつ、動き出してしまわないようきつく拳を握ると、
足許に置いていた紙袋をみつけ、相手に手渡す。

「何だ?」
呆然と受け取って中を見ると、着替えと下着が入っており、驚いて庵を見る。
「な、何でこんなも――」
「お前の母御殿に、届けるよう頼まれた」
誤解される前に、と言葉を遮るように言うと、
ふうんと呟いて安堵した表情を浮かべる。
「何だ、オフクロに頼まれたのか〜、びっくりした〜」
今の反応からして、何となく自分との関係について
勘付いているのかも知れないが、庵は敢えて何も答えなかった。
このままがいいのかも知れない―という自嘲を込めて。

「荷物は渡した…俺は帰る」
「おぅ。オフクロに礼言っといてくれな」
ギシリと音を立ててベッドから立ち上がり、扉へ向かう。
その背が開かれた先へ消える間際、


「あの………さ!!」


ためらいがちに掛けられた言葉に、庵が振り向く。
「きょ……今日は来てくれて……有難うな!!
 ま……また来いよ…………………庵!!!」
恥ずかしそうに微笑む京に、少し驚いた表情を浮かばせるが、
薄い微笑みを返し、軽く手を振って答え、庵は病室を後にした。



その足音が聞こえなくなるまで、ぼんやりと庵の消えた扉をみつめていた京は、
何故かほんのりと暖かくなっている胸に、残された紙袋を抱き締めた。



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